儚くて、白い、ひとひらの

ことばたちは舞う雪のようにはかない。

いつか同じ空の下で会おう

注釈)この記事は、以下のブログ記事へのアンサー記事となっております。読んで頂いてから以下の記事を読んで頂けると幸いです。

amytis.main.jp

人は皆、成就や幸福を探し求めて、それぞれ違う道を歩みます。
誰かが人とは違う道を歩んでいるからといって、彼らが道に迷っているわけではありません。
People take different roads seeking fulfillment and happiness.
Just because they’re not on your road doesn’t mean they’ve gotten lost
ダライ・ラマ14世

 

 とある日、Twitterを開くと、DMが1通届いていた。かつて、とあるオンライゲームで冒険を共にした仲間からだった。

 

「実はファイナルファンタジー14を始めまして…」

 

はえっ、と軽く姿勢を正した。彼からそのことばを絶対に聞くことはないと思っていたからだーそして、そのことばは、私が一番聞きたかったことばでもあった。

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私は、ファイナルファンタジー14をプレイして4年目になる。

プレイしている人ならご存知だろうが、プレイ歴4年目、ということは、新生前のエオルゼアを知らない人間である。私がプレイし始めたのは新生エオルゼアが出る際のアーリーアクセスからである。

 

そして触り始めて4年。未だにプレイしている。

しかし私は、この14の世界、エオルゼアに、メテオが落とされ、破壊された様を知らない。

旧14という、もうひとつのエオルゼアで戦った戦士たちがいることの重みを、実感できないままに戦い続けている。

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 私の人生の半分は、MMOと共にあった。

私の年齢は30代後半、大学生の時にインターネットに出会い、その中でMMORPGとも出会った。以来20年間、大きなタイトルも小さなタイトルも含め、途切れることはあっても、コンスタントにMMOの世界に身を置いていた。

 

私が彼と出会ったのは、そのMMORPGをメジャーの舞台へと押し上げたと言っても過言ではない、「ファイナルファンタジー11」だった。

当時(今もだが)、コンシューマーゲームのシリーズとしてビッグタイトルであったファイナルファンタジーのナンバリングで、MMORPGが出る、というのは、かなり衝撃的なことだった。その時は私はリネージュという韓国産のMMOに身を置いていたが、そこでの仲間が、「こんな瞬間に立ち会えることなんて滅多にない。俺はファイナルファンタジー11をプレイする!お前もこの機会を逃すつもりなのか?」と言ってきたので、流されるままに舞台を移した。

 

パソコンではなく、プレイステーション2でオンライゲームができることも、当時は衝撃だった。いろんな設定に四苦八苦しながら、初めてその世界、ヴァナ・ディールに降り立った時の美しさにことばを失った。美しい音楽、美しい景色、走り回るキャラクターたち…私のMMO人生の中で、これを超える驚きはなかった。

 

私はその中で、当時ジョブとしては苦難を受けていた赤魔道士を始める。居場所の少ない赤魔道士を集めたリンクシェルに出会い、そこで多くの仲間たちとともに、赤魔道士としての道を歩むことになった。

そして、私は先に述べた彼とも出会ったのである。 

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私は赤魔道士を始めたとは言え、基本的にはライトプレイヤーだった。

レイドにいくなんて考えは微塵も浮かんでこなかったし、私には関係のない世界だと思っていた。

 

そんな私でも、上手い赤魔道士にはなりたかった。

私自身ゲームは好きだけど得意ではなく、それでも、上手いね、と言われるようなプレイヤーになりたかった。そんな私の憧れの先輩的存在が、彼だったのだ。

 

彼がよく参加していたレイドの早期攻略やHNM狩り。私には雲の上の話のように感じていたが、そのような場所にいる彼も、私の質問に答えてくれたり、時には気にかけてくれたりと、赤魔道士を続けていく上での心の師匠のような存在の人だった。

 

しかし、高度なミッション、Time to winのシステム、プレイヤースキルの格差などの壁を乗り越えられないまま、私のFF11人生は幕を閉じた。わずか1年余りだった。

 

自分にできること、イベント企画や参加など、充実した生活も確かにそこにはあった。でも、どこかで劣等感を拭えずにはいたと思う。私のFF11人生はフェードアウトしたが、彼はヴァナ・ディールに残り、その活躍はネットを通じて引退した後も伝え聞くところとなった。

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 やがて、FF11を辞めてしばらく経った自分の耳に、ファイナルファンタジーのナンバリングで、またMMORPGが出ることが風の便りで届いた。私はその当時、FF11で知り合った夫と結婚生活を送っており、またプレイしてみようか、という話になった。しかし、PC版ソフトが先行発売され、その後PS3版がでるということを知り、またかなりのスペックのパソコンを要求されていたことから、PS3版が出るまで待とうという結論に達した。

 

かくして、ファイナルファンタジー14(今で言うところの旧14)のサービスは開始された。しかし待てど暮らせど、PS3版が出るという話が出てこない。気になって調べれば、出てくる悪評の数々。グラフィックは確かに素晴らしいが、プレイできる環境にないとか、とにかく、やりたいと思わせる要素は1つもなかった。

 

私は当時、家庭での生活がほとんどを占めていたし、正直FF11の頃のようなプレイをできる気がしておらず、それ以上深く14について調べることはなくなってしまった。私のMMO人生はもうこの先ないだろう、そうとさえ考えていた。

 

しかし、そんななかでもFF14をプレイし続けていたプレイヤーたちがいた。

彼もその1人だった。

Twitterでその様子を見ていたはずだったが、あまりよく思い出せない。ただ、根性版、と揶揄されたシステムの中で、常人では考えられないほどのペースで、ギャザクラを上げていたのだけは記憶にある。

今や「光のお父さん」のドラマで一躍有名になったマイディーさんのブログだが、マイディーさんもまた、この世界で戦いながら生きていたという記録がある。

 

私はPS3版がいつか出ることを待つだけの人間だった。しかしそれも、日々の生活の忙しさの中に塵のように消えていった。 

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そして、幾年か経った後、PS4FF14がリメイクして発売される、ということを知った。

正直私の中で、リメイクに対していい印象がなかった。悪い悪いと叩かれた部分を、おべっか程度にこれでいいんですよね、という感じで手直しして、開発費の回収のために出すのだとすら思っていた。

 

そこで14が辿った歴史を追ってみると、新しいプロデューサー、吉田直樹氏が就任し、エオルゼアにメテオを落とし、世界を破壊したあとで世界を作り直したと言う。MMOの世界が滅ぶ…そんなこと、完全なサービス終了の日以外に考えられなかった時代に、吉田直樹というひとはそれをやったのかと考えると、大人として、背筋が凍る思いすら感じた。メテオで、吉田Pは自らの退路をも絶ったのだ。それをしなかったら、もう地に落ちたユーザーの信頼をとりもどせないと思ったのだろう。

 

そのことについて、彼は何といっているのだろう。やはり新生された世界できっとまたプレイするのだろう、と当たり前のように思っていた。

 

しかし、彼の行動は全く逆のものだった。もう未来永劫、FF14をプレイしないと言うのだ。

新生したエオルゼアは、自分の生きていた世界ではない、システムも全く別ものになってしまった、今迄散々この世界を叩いていたひとたちが手のひらを返したようにこのソフトに群がっている様をみたくない(記憶が朧なので違っていたらごめんなさい)というようなことを日々Tweetしていた。

 

私は胸が張り裂けそうな思いがした。

彼の思いにではない。1つの作品を、形がわからないほどに破壊、また同じ名前で作り直して世に出さなければならないということが、クリエイターにとっていかに辛く、そして果てしない作業であるかを考えてしまうのだ。同じものを出してもこれでは変わらないと言われ、全く違うものを出せば、これは同じタイトルだけど別の作品だと言われる。これを覚悟して、このソフトを出すのだ。

 

私は彼がいなくなったこの世界を、この目で確かめたい、という気持ちになった。タイミングよく、知人がPS3がもういらなくなったのであげる、ともってきてくれたので、まさにこれは神の思し召しでは、と環境を整えていった。当時夫は、ドラゴンクエスト10のオンラインゲームを楽しんでいたため、1人でのスタートとなった。

 

かくして、ファイナルファンタジー14 新生エオルゼアのサービスは開始された。今から4年前、2013年9月1日のことである。

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私が14をプレイするにあたって目標にしていることがあった。FF11の時にできなかった、リアルタイムで最新コンテンツを遊ぶことを目標とすること(レイド含む)である。

 

やはり今思い起こしても、11の時に戦闘コンテンツを遊び尽くせなかったことだけが後悔だった。今回はサービス開始からのプレイであったこともあり、あの時の後悔だけはしたくなかった。

 

エオルゼアライフは楽しかった。

1日短時間でも遊べるコンテンツ、移動などに極力ストレスをなくしたシステムで、時間の限られた自分でも無理なくプレイできた。

一緒にプレイする仲間にも恵まれた。街中で集まったり、ただおしゃべりをしたり、スクリーンショットを撮ったりしてあっという間に時間は過ぎた。

美しい風景、見たこともない敵。すべてが私を満足させてくれた。私はその気持ちをTwitterに綴った。

 

しかし、相変わらず彼の言動は変わらなかった。私は一度だけ、もう14はプレイされないのですか?と彼に聞いたことがあった。答えは絶対にないですね、の一言だった。

 

私はその答えを予想していたつもりではいたのだが、やはりこころは冷たくなった。

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そんな私のエオルゼア生活で、私の最初に決めた目標が、人を傷付ける出来事が起こった。

 

私がレイドへ参加することを焦るあまり、無意識のうちに仲間を蔑ろにしてしまっていたのだ。

詳しくは省くが、エンドコンテンツに誘ってくれる仲間と、そういったコンテンツからは離れていたい仲間との間で、動けなくなってしまったのである。

 

エンドコンテンツもプレイしたい、でも今の仲間とも一緒にいたい。私がとった行動は、エンドコンテンツから離れていたい仲間を、エンドコンテンツに、気持ちを無視して誘い入れようとすることだった。そして決定的な一言を言われてしまう。

 

そんなものに興味がないし、誘うのをもうやめてほしい。

 

私は頭を殴られたような気持ちになった。私は何をやっているのか?

 

自分は絶対に14をプレイすることはないですね。

 

あのことばが蘇ってくる。私は結局、自分が楽しいと思うことを、ただ人に押し付けようとし、拒否されれば自分自身を否定されたような心持ちになっていたのだ。誰かを思って、楽しさを綴っていたわけではないのだ。

 

思い悩む私に、夫はこう言った。

人の思いや生き様は、絶対に変えられない。そして自分自身だって自分を変えることなんてできない。そんなことに心を砕くことなど不毛だよ。

 

確かにそうだった。

自分自身の思うように生きたいなら、孤独でいるべきだ、と私は結論付けた。そしてすべての交遊関係を断ち、サーバー移動することを決意した。

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私は、何もかも捨てて飛び出したからには、意地でも目標を達成しなければならないという思いを強くした。

 

自分自身の身を隠すため、過密サーバーに移ったが、レイドの活動状況は厳しかった。ゼロからの人脈で野良活動を余儀なくされ、下手くそと罵られたり、除名も経験した。

 

しかし誰も慰めてはくれない。自分で望んだことなのに、孤独は私を苦しめた。

私は確かに、ゲームでも人の間に生き、人に生かされていたのだった。そのことに気がついても、もう帰れる場所はない。

 

悩んだ末、私は恥を忍んで、Twitterで長年同じジョブをしていたフォロワーさんのいるサーバーに転がりこみ、お世話になることになった。(あの時のこと、今も皆さんに感謝しています)

 

そして、前向きにレイドで戦って楽しんでいる仲間に沢山出会ったのだ。

苦しみながらも攻略法を探り、クリアした人からはアドバイスをもらったり、野良でも同じ進行度でプレイする仲間とフレンドになり、進捗を確認して励まし合ったりした。久しぶりにプレイが楽しかった。

 

私は、エンドコンテンツをプレイして行くことと、エオルゼア生活を楽しむことは両立できないと思い込んでいた。

そう思うからこそ、エンドコンテンツをプレイしない人たちを、軽蔑の目で見ていたのだと今は思う。苦しみに立ち向かわない人間は弱い、と下に見ていた時期が確かにあったと思う。

 

だがどうだろう。私自身、ゲームを楽しんでやっていたのか。苦しさ、辛さを感じている自分自身に酔って、本当の自分から目を逸らそうとしていただけだったのかもしれない。

 

新しいサーバーでの出会いが、背中を押してくれ、私は当時のエンドコンテンツであった大迷宮バハムートを、漸くクリアした。最後は、目標のためには手放さなければならないと考えていた「人」に、皮肉にも助けてもらう形になった。

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あれから2年位たっただろうか。

元いたサーバーより、現在のサーバーでの生活が長くなったが、拡張を経て、のんびりと過ごしている。生活が忙しくなったこともあり、拡張でのエンドはお休みし、極蛮神までのコンテンツまでで楽しませてもらっている。

 

夫もプレイしているが、DCもサーバーも別で、一緒にはやっていない。プレイスタイルが違うので、話題としては常に共有するが、干渉はしていない。

 

私が若い頃、ネット上でのオンライゲームでの活動としては、鯖別の掲示板やホームページなどが主たるものだったが、今ではTwitterが必要不可欠な存在となっている。Twitterは、リアルタイムで情報発信できるのが長所でもあるが、その時の気持ちや気分をダイレクトに反映するため、ゲームそのものを叩いたり、ネガティブな意見がすぐに拡散されたりする。

 

FF14を4年近くプレイしてきて、一番モチベーションを削がれたのは、このゲームはつまらないしクソ、などとずっと言いながらもプレイし続けているプレイヤーたちのTweetだといっても過言ではない。2ちゃんねるなどの暴言や晒しなどの耐性をある程度持っている私ですら、辛いものであった。もちろん、正当な意見もあるし、その人にとっては真実なんだと思う。でもそれが見に行かなくても流れてきてしまうTwitterは、他人の気分という雰囲気すら動かしてしまうものだと思う。

 

私はサーバー移動してからは特に、特にFF14に関しては、意識して前向きな気持ちを綴ってきた。もちろん、ネガティブな気持ちはいつだって持っているし、こんな調整なんだなんて文句がないわけではない。でも文字として残してしまうことが私自身を縛ってしまわないようにありたいと思ったのだ。

 

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 そして冒頭に綴ったダイレクトメールが届いたのはごく最近のことである。

 

あれほどまでに頑なに、プレイしないと決めていたFF14をプレイする、という気持ちになった彼の変化と、私が過ごしてきたエオルゼアの歴史を思い出して、現実でも長い月日が経ったのだな、と、一番最初に思った。そして同時に、やっぱり嬉しかった。ひとの気持ちは動かせないとは理解しつつも、本当は、この美しいエオルゼアという世界を、多くの人に肯定してほしい、という思いが、私の中にあり、消せないことも知った。

 

そしてそのメッセージの後に、FF11ではのんびりと過ごしていたはずの私が、これだけ長くプレイしていることが気になっていたという記載もされており、私がTwitterの中で綴ってきたことばの全てではないにしても、誰かの気持ちの琴線に触れていたことを嬉しく思った。私はこれを機に、自分がここまでプレイしてきた理由を一から考えるため、この記事を書いてみた次第なのだ。

 

どうして彼が復帰(ということばが正しいかどうかはわかりませんが)したのかという経緯は彼のブログ記事に綴ってあるので是非とも読んでいただきたいのだが、この記事は、そのブログ記事へのアンサーのつもりで綴ったつもりである。

 

旧14を知る世代、新生から始めた世代、それだけじゃなく、冒険を始めた理由、続けている理由、やめてしまった理由、それらの思いは、光の戦士の数だけ存在し、そしてどれも正しいのである。それらが集まってできているのがMMOなのである。

 

私のプレイは、自分が自分に約束した生き様を生きる、言わば意地が全てだと思っているが、最近はまたもう少し肩の力を抜こうかな、とも思えるこの4年なのである。

 

6月19日からは2枚目の拡張が発売される。

また新たな冒険が星の数だけ生まれるだろう。私はまたもうひとつの人生を生きる。

 

そしてどんな思いが背景にあっても、戻ってきたプレイヤーたちには、心からのおかえりを言おう。

 

おかえりなさい、エオルゼアの空は、今日も綺麗でしたか?

 

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